壬生邸の庭

本と物語が好きな転勤族

2021-01-01から1年間の記事一覧

常識について

『常識について』 近所の青果店が最近のぼくらのお気に入りだ。 市場で買い付けてきた野菜や果物を、箱のまま開けて売っているような店だ。それだけに価格はびっくりするくらい安い。店舗自体も露店に補強してあるだけに見えるが、奥行きは結構ある。 「台湾…

挿話:アザーサイド

『挿話:アザーサイド』 「やるきがおきない」 実験体三十二号に直結しているスピーカーが響いた。生まれて初めてしゃべった言葉がそれだった。 「安曇野センセ、どうしましょ」 オペレーターの滝本エレクトラは生来ののんびりとした口調で言った。振り向き…

遺品

『遺品』 to:高野均巡査部長どの from:柏木涼子 title:メモリ解析の件 date:2045年5月28日9時32分 先日依頼いただいた携帯メモリの解析結果ができましたのでお送りします。このメールに添付したホロデータをお手持ちのデッキにて展開してください。できれば…

リハビリ

『リハビリ』 視界の片隅がチカッとまたたいた瞬間、俺の全身は千度の火炎に包まれていた。テロリストどもが最近使い始めた、燃焼剤入りのカクテルボムだ。外気から閉鎖された地下道でこれを使われたら、首都警の重ジャケットでも耐えられない。まず酸欠で脳…

電車のムンク

『電車のムンク』『ぶっ殺す』 簡潔で過激な文字が目に飛び込んだ。ノートPCの液晶画面から躍り出て、まるでそこだけ輪郭が強調されたかのように感じられた。鼻白み、PCのタッチパッドを滑る指先が止まった。 ブログのコメント欄に表示された時刻は二十分前…

渡り

『渡り』 「胸の上で両手を組んだまま眠ると悪い夢を引き寄せる」 そう言ったのは祖母だったろうか。それとも夏休みで祖父母の家に遊びに来ていた、三つ年上の従姉だったろうか。 その晩十歳のぼくは興味に駆られて手を組んだまま眠りについた。その時の夢は…

二人の食卓

『二人の食卓』 1DKのキッチンから、千夏の小さな悲鳴とともに盛大に何かをひっくり返す音が聞こえた。 「大丈夫か!?」 眺めていた雑誌を放り出し、浩紀は急いでのぞき込む。水びたしの床にはパスタ鍋が転がり、半泣きの千夏が座りこんでいた。 「火傷…

モンスター・デイドリーム

『モンスター・デイドリーム』 妹のミキがテレビをつけた。ヘリコプターから空撮されたとおぼしき映像には、十数階建ての高層マンションが紙くずのように潰されていく様がとらえられている。ヒステリックな実況レポーターの声が映像にかぶさる。 「消せよテ…

マクドナルド式

『マクドナルド式』 篠木悠は人造人間である。彼ばかりではなく家族全員が人間ではない。しかし、このことを知っているのは悠一人である。 クルマで二十分の巨大なショッピングセンターは、夕暮れを待ってこの片田舎の隅々から人間をかき集めてきたかのよう…

ニワカドリ

『ニワカドリ』 薄い壁がどんと鳴った。手にしていたコップの中の水に波紋が立つ。窓から差し込む朝日を受け室内に埃が舞うのが見えた。 隣室の太田の野太い唸り声が聞こえる。またニワトリと格闘しているのだろう。僕は日課の長い歯磨きの手を休めることな…

わたしの妹

「わたしの妹になって」 校庭のすみ、ジャングルジムを背にしたぼくに彼女はそう切り出した。 ハヤシミドリはぼくよりも頭一つ背が高い。ぼくは小学四年生でミドリは六年だから当然のことだ。しかもミドリは同級生と並んでいても目立つ長身だったように思う…

紙の上にしか存在しない私は

『紙の上にしか存在しない私は』 「紙の上にしか存在しない私は」とタイプして手を止めた。 紙の上にしか存在しない私は、紙の上にしか存在しないキーボードの上にテキストをタイプする。紙の上にしか存在しない私が書いたものと、いまここでタイプしている…

月と二人とやさしい嘘

『月と二人とやさしい嘘』 一「おまえにピッタリの娘を紹介してやるよ」 唐突に西野は言った。 西野はカオルの右腕をつかむと、軽々と引き上げた。 金曜日の放課後。部室棟へ向かう渡り廊下。暦の上では春とはいえまだリノリウム敷きの床は冷たい。 不意にあ…

ヒトリトフタリ

『ヒトリトフタリ』 私がベランダから空を見上げると雹(ひょう)が降っていた。 アパートのトタン屋根にパララララという乾いた打撃音が響く。 私は以前友人宅で見せられたビデオの、ナチス党の宣伝映画を思い出した。 機関銃の音というのは意外と軽いもの…

卓上の物体について

『卓上の物体について』 半透明で艶やかで軽い。 それは一見何かを刺すスティックの様な形状をしていた。 片方の先端が滑らかなカーブを描き、錐の様にすぼまっている。その先には金属の針が取り付けられているようだ。 プラスチックとおぼしき本体は黄色く…

学園特急

『学園特急』 学園祭前夜 PM7:55 暴走電車『…エ……ンを……………のよ』 「? 雑音が、ひどい! もう一度!] 『エン………………………………!』 思わず怒鳴りつけた無線機の声はいきなりノイズが増した。槙広一郎はヘッドセットを右耳にあてがったまま、この五分間に…

繭の日々

今でも時に思うのだ。 あの娘のことを。 何時までも続く、あの夏の日のことを。 一 いま、わたしの手元には一枚の古びた写真がのこされている。大切に保管されていたらしいその白黒写真からは、少女が一人、はにかんだ様なそれでいて空に視線をなげかけてい…

鬼譚

『鬼譚』 はなやさきたる やすらいばなや 一 村の境界の桜の古木に、鬼が出たという噂がたった。 一本角を生やした異形の巨人を見た、という。 ちょうど山里にも桜の咲きはじめる頃のことである。 おおかた夜桜に魅入られて、幻でも見たのだろう。たがいにそ…

相似形について

『相似形について』 強制的に外へ意識を向けさせられる。その渦中は気楽だけど心はどんどん空っぽになっていく。 もとから空っぽの心に気づかないですむなら幸せだけど、ひとの意識に押し潰されて、自分に何も残っていないと気づくととても恐ろしくなる。 ひ…

インディアン様

『インディアン様』 「またドリームキャッチャーだ」 和歌山奈々は声に出さず呟いた。 女子生徒の渡す硬貨を半ば自動的に受け取り、レジを打ちドロアーから釣り銭を渡す。彼女が『ドリームキャッチャー』と名づけている、紐の結わえられた五十円玉はレジの硬…

カニバリィ

『カニバリィ』 俺は少女に語りかける。 「長い髪だな」 「だって髪を切ったことないもの」 「生まれてからずっと?」 「そうよ、私は自分のからだを傷つけることができないの」 「肌だって白すぎる。実験用のマウスみたいだ」 「さわらないで。あなたはお医…

来たる船

『来たる船』 娘が生まれたとき、大きなるブラガトは既に歳老いておりましたので、ついに跡目を継ぐ息子を得られませなんだ事を嘆いたものでした。 野蛮なことで知られたグメイサの民を討ち従えたオンゲンの血に連なるルゲリ家もブラガトとその三人目の連合…