わたしの妹
「わたしの妹になって」
校庭のすみ、ジャングルジムを背にしたぼくに彼女はそう切り出した。
ハヤシミドリはぼくよりも頭一つ背が高い。ぼくは小学四年生でミドリは六年だから当然のことだ。しかもミドリは同級生と並んでいても目立つ長身だったように思う。
なにもこたえられないぼくの両手をとって、ミドリが顔を近づけてきた。その真剣な表情に、心臓をつかまれたようにすくみあがったぼくは一、二歩あとしざった。ジャングルジムの鉄の骨組みが肩に当たる。
「だってぼくは男だし」
「これから妹になってくれればいいのよ」
冷静にミドリは言う。
「ぼくには自分の家があるから無理だよ」
「いいのよ、わたしだけの妹になってくれればいいんだから」
理屈の通じない相手だと、ぼくは本能的に悟った。しかし退路はジャングルジムにさえぎられている。
金曜日の午後、気の早い秋の薄い日差しが斜めに照らす校庭にはどういうわけか誰もいない。視界の端の二階建て校舎がひどく遠く見える。
「ヒサちゃんはせっかく可愛いんだから、もっときちんとしなきゃいけないの」
上級生であるミドリは、ことあるごとに可愛いだの女の子みたいだのとぼくに絡んできた。下級生である以前に、小学生男子であるぼくにとっては迷惑極まりないことだった。ただでさえ女の子らしいことを恥ずかしいと考える年代である。同級生の女子と一緒に歩いているだけで他の男子からはやしたてられるのだ。
「じゃあ約束ね」
ぎゅっと握っていた手をはなすと、ミドリはぼくの両肩に手をかけた。なにをする気なのか判らなかったが、約束などさせられてはたまらない。ミドリの顔が近づいてくる。
「ごめんなさい!」
ぼくは自由になった両手でミドリの胸をどんと突き飛ばした。前かがみの姿勢になっていたミドリはあっけなくしりもちをつく。
「ごめんなさい!ごめんなさい!」
わけもわからずつぶやきながらぼくは駆けだした。校舎の端の水飲み場まで一気に駆け抜け、後ろを振り返った。ハヤシミドリはそのままの場所でこちらを見るともなく立っていた。表情までは見えなかったが、安心するとともになにか寂しさのようなものを感じたその姿を振り切るように、ぼくは家に向かって走り出した。
その日以来ミドリがぼくに絡んでくることはなくなった。冬が過ぎ春が来て彼女は小学校を卒業し、遠くからその姿を見ることもなくなった。そのことを当時のぼくは気がつかないでいた。気がつかないようにしていたのかもしれない