壬生邸の庭

本と物語が好きな転勤族

相似形について

『相似形について』


 強制的に外へ意識を向けさせられる。その渦中は気楽だけど心はどんどん空っぽになっていく。
 もとから空っぽの心に気づかないですむなら幸せだけど、ひとの意識に押し潰されて、自分に何も残っていないと気づくととても恐ろしくなる。
ひとの心に自分が居れば、ひとが自分のことを気にかけてくれるのならば、私はきっと生きていける。
 でもそのためには自分の心の中にもべつのひとがすんでいることを認めなければならない。わたしは私である以前に、わたしのような物であれかしという思いの産物にほかならないのだから。
 自我などという幻想を抱えてしまったから、一人一人に個性があるなんて思ってしまったから、わたしたちの孤独は癒せない。
 わたしとあなたはこんなにわかりあえているのに言葉が思いの邪魔をする。天使の会話は言葉を使わない。きっと星も無機物も。


パタ−ンA−1 昭倭七十年 札幌

それは葬送儀礼だった。
妖精と竜の実在する街で。
その世界のわたしの見送った魂は夕日の中に沈みこんでいった。
「あのひと」は仮想の月、リリスを目指していた。
暗い月を生身のまま通るためには一度死を経験しておかなくてはならない。
月の竜アタリアよ竜の道を指し示せ。

 落日を待たずして、目にしみる白さの吹き流しが六旗、石畳のステージの外周に掲げられた。どこへ向かうにしろひとを送り出すときはその風向きが重要となる。物見だかくて気紛れで、そして時に危険な風竜を遠ざける意味もあるが、これはより大きな大気の力への意思表示なのだ。
 列席者は二百人ほど。ほとんどが学部の関係者で占められている。この大通公園で執り行う儀式としては小規模なものだ。ただし帝大の風水寮から博士が八人も参加している。在野のユタや神職も招いてあるからその格式は相当なものだ。
風水師は列席者に唱和を求めた。あなたがたの思いが彼の魂を薄明の子らの誘惑から守護するように。地球の星気光が、アイテールより成る大竜が無事に彼の肉体を彼の地へ送り届けるように……。
 儀式の主導者である風水教授の(正確には助教授だったが)……K、は焦げ茶色のニットのベストの上に黒のコートを羽織っている。胸元には風水師の徴である鏡をぶら下げているが、彫りの深い顔立ちと長身からエクソシストでもやっている方が似合っているともっぱらの噂だった。わたしはこの教授の講義に代返のために一度出たことがあった。板書をあまりしないところと低い落ち着いた声に好い印象をもっていた。
 夕陽は西の山並みへ没しようとしている。風水師たちがが特に今日のこの時間のためにこの場所を選んでいる。もとからレイラインの交わる場所、この北の都の大道の始点である。四十メートル四方の石組みのステージにしか見えないが、入念に調整された力の流れはわたしのような素人にも新鮮な気配として感じられる。
『其の名はザイン、其の名はヴァウ、其の名はヘー、其の名はダレト……』詠唱は続く。
 風水師の施した紋様が私たちの視覚を拡張している。山吹色にたなびく彼方の雲に風竜の細い体が舞うのが見える。隣で声と呼吸をあわせているゼミの助手はすでに皮膚の多くを葉脈と気孔で覆われつつある。今のわたしの目にはそのように見える。木精としての本性を半ばあらわにしているのだ。女性である彼女の姿形と相俟ってギリシア伝説の月桂樹の乙女ダプネを思わせた。わたしたちの身体の間を風が巻き始めた。風は人々の取り囲むステージの中心から吹き付けてくる。そこにはわたしの見慣れた一つの人影があった。距離にしてわずか十メートルほど。しかしいくら目を凝らしても輪郭がはっきりとしない。ひどく遠くに見える姿をわたしは必死に追いかけた。彼はこれから死ににゆくのだ。


パターンB−1 1995年 札幌

料理をする女が居る。
料理は自分の生をごくわかりやすい形で編集してくれる。
その日彼女は素晴らしい夕日を見たのだった。
彼岸の景色を、生まれる前にいつも見ていた懐かしい光景を。

 わたしはとても美しい落日を見たのだった。
 午後の講義が早くに終わって家路に向かう地下鉄を降りたわたしは、少し爪先立ちで二番出口の急な階段を登っていた。南北線北二十四条駅界隈の雑踏がわたしを包み、真新しいアミューズメントビルのCDショップとファーストフードチェーンの……Mと、いつもの癖で目線をあげずに通りすぎた。初冬の早い夕暮れは盛り場のこのあたりでは数十分先取りされるらしく、白い湯気で曇ったラーメン屋の明りはことさら眩しくわたしの目を射た。
 信号が黄から赤へと変わる。気をつけろから危険へ。背の高いビルに切りとられた繁華街の空は、西から東へカーキ色からバイオレットのグラデーションを見せていた。夕暮れ特有の凪いだ大気は、遥か数十キロメートル上空の光の屈曲をほぼ歪めることなくわたしの網膜へ伝えた。通りの店みせは照度を必要以上に上げて誘蛾灯の働きを期待している。ネオンサインや広告塔や街路樹のイルミネーションや、地面が華やかに飾りたてられるほどにわたしを包む闇は濃くなってゆくようだった。ひたひたと黒い何ものかがわたしを取り囲み、速やかに水位を上げてゆく。とぷん、と頭が呑み込まれたが最後、わたしを深海の谷底へ置き去りに見上げる光はか細い一すじの雫になってしまう。
 わたしは東へ、自分の家へ向けていた足を反対方向へと向けた。歩いて二分のところに知合いの居る高層アパートがあった。この辺りはこの街でも有数の学生街だからほかにも思い浮ぶ顔があった。しかし今わたしが必要としていたのは、見知った顔よりも勝手の知った高さだった。すなわち見晴らしの良い展望台を捜していた。先輩の……Kは確か六階に住んでいたはずだ。そして9階の屋上への鍵が開いたままになっていることをわたしは知っていた。今ならまだ間に合うかも知れない。
 わたしはもどかしい思いでエレベーターの上の矢印を押し、錆び付いたスチールの扉を押し開けた。案の定鍵は掛かっていなかった。扉の隙間からもれる空気はそれ自体薔薇色に輝き、わたしのてのひらを染めた。
 料理をこしらえるのもその定型化された行為に先刻の心の動きを封じ込めるためだった。夢のような感動は絶えず手のうちから逃げ出してしまいそうで、しっかりと刻み込んでよく咀嚼しておかないと居ても立ってもいられない。料理は手順の繰返しとして記録されるが、実際は膨大な種類の素材と、方法の選択の結果としてもたらされる。熟練した料理人にとって手順はすでに体に刻み込まれた刺青のようなもので、それがゆえに料理の持つ豊饒なイメージは手順という文節によってそのままの形で記憶される。皮膚に象られた模様はそうそう変化しないかもしれないが、その筋肉のうねりと立居振舞いによって描き出される軌跡はそのたびにあらたなものである。


パターンA−2 昭倭七十年 札幌

 薄暗い学生会館の二階は、喫煙区画から流れてくる紫煙で一層見通しの利かないものとなっているのが常である。薄暗い空間は乳白色のグラデーションで構成され、奇妙なほど安定したその濃淡は小雨模様の空の低い雲を思わせる。たとえいかなる種類のものであれ煙草を吸う者が居なかったとしても、頭上数十センチメートルから高い天井までゆっくりとうねりながら室内の空気と釣り合った粒子は落下することも拡散しきることもない。ある者は二階ロビーに空調設備のないことを問題とし、ある者はこの場所で消費されることの多い煙草の銘柄を原因だと考えている。

 かつて惑星間の物質の希薄さが問題とされた時代があった。光学観測器が発達して、この星の姿は物理的にもあらわになったが、いまだ我々の技術だけでは星ぼしの世界へ肉の身体を移動しえなかった頃の話だ。光とエーテルの区別が付くようになっても、なぜ我々の『技術』が大気圏外では通用しないのか明快に語ることはできなかった。正統の星読みの技術は星のコスモスと人間のコスモスの相関を指し示してはくれたが、大気の、星気光のそとにどんな精霊の力が及んでいるかまでは明らかにしていなかった。
 星のエンス、すなわちエンス・アストラーレが不存在の存在として理論化されたのは今世紀の始めのことだ。物質と隣り合わせに共在する空間の記憶。人間の精神が眠りと死後の期間入っていく領域。光と力場についての正確な観測と、時間、空間、精神への深い数学的思考が一人の天才に受肉して空間形成場の概念が人類へもたらされたのだ。もっとも、エーテルと四大精霊を奉ずる技術者達にとってその意義はほとんど理解されなかった。彼らは紋様で縛り付けた精霊を炉に入れて、数百メートルの戦艦を中に浮かすことも可能にしていたのだから。だがいかにフラギストンを効率よく励起させたところで彼らの創り出したギボリムの巨人は、角砂糖一つ分の空間を解放して得られた光と熱になす術もなく融け崩れた。
 先の大戦終結させたこのトピックは今日の学生達の世界地図に新たな国境線を付け加えたばかりではなく、半世紀後を生きる私たちの意識を決定付ける契機ともなった。すなわち、古典的な象徴と、地表に縛り付けられた世界観に決定づけられていた私たちの『技術』が、自らの意識でその物理法則そのものを変容させることができるものだと理解させたのだ。妖精との契約はその詠唱通りに古の理にもとづいて使役しているだけというわけではない。むしろ人間の意識が彼らのような存在を人の目に見える形で結像させているのだ。
『おそらくこの現象は』、とわたしは木の繊維で編んだキープを掌の中でもてあそびながら視線を空にさまよわせる。わたしの頭上から百センチメートルほど上を常に漂う紫煙は時に意識に反応して具象化しようとすることがある。それは波であり引き合う力でもある。意識は遠くまで見通せるが、あちらこちらに偏在する思考の結節をまとめあげるのは億劫だった。何か思考の依り代となるものが必要だった。こういう時あのひとならどう考えるだろう……。
 黒ずんだ板材で覆われた高い天井は緩やかにその隣り合う角度を変え壁へと変化していく。採光のない頂上部は闇に紛れ、しかし解放感の無い閉じた暗がりはわたしを護ってくれる、洞窟の安心を与えてくれる。煙の原因は微細な粒子の群だ。人の吐き出す呼気で、煙草の先端で熱せられた気流に乗って。かつて植物の遺体であったものは巻き上げられ拡散する。塵芥は我々の視界をその小さな面積で遮るのみではなく、光を乱反射することで自らの存在を主張する。とすれば煙の本体は屈曲され微妙に色付けされた光を孕んだ空間ということになるだろう。たとえ煙の粒子のような無きに等しいものであっても、実体を持つ以上常に同じ状態に在り続けることは不断の助力を必要とする。より加工しやすいのは空間の性質だ。人の感覚が物質をそのまま捉えることよりも、むしろ精神の場を感知するようにつくられている事が、今日の世界をかたち作っている。
 常にたゆたい続ける煙は、我々の心と、この場所の切り取る一千立方メートルほどの空間の特異性と決して無関係ではない。云わば紫煙空間とでも言うべきものの中で我々は自分の視神経を過剰に信用してはならない。
「聞いたか?黒田の話」
「クロダ?ああ降霊科の。いや土占科だったっけ」
「土占いの方だよ。霊媒やってんのは香田だろ。ほら背の低くて前髪揃えてて、こないだの学園祭で『アラン・スミシー』呼び出したの知らない?」
「知らない。誰だそいつ」
「……いいや。でさ黒田の話だった。黒田がこんどの探索計画の遂行者に選ばれたって」
 わたしはキープを手繰る指を止め背後の会話に耳をそばだてていた。
 もうゲヘナの探索計画がおおやけになるのか。教授会で探索行が検討されたのは三十か月も前のことになる。内々で計画にゴーサインがでたのが二月前。危険な計画に志願者の現れたことが直接の原動力となった。そして内密にされていたその志願者から、黒田辰彦から異世界行きを明かされたのは八日前のことだった。


パターンB−2 1995年 札幌

 じゃがいもを茹でる鍋はなるたけ大きい方がいい。底の剥げたホウロウびきの奴はこの家で一番大きな台所道具だ。この鍋は十キログラムの水を十リットルの熱湯に変えることができる。そのまま都市ガスの青白い炎にさらしていれば、その数百倍の拡がりを持った蒸気を生産できるだろう。水がすべて湯気に変わってしまう前に、その熱をこの南米産の野菜に与えてしまわまければならない。
 男爵いもの泥を落として皮ごと鍋に落とし込む。水をひたひたに満たして水から火を加えていく。ついでに人参と殻のままの卵もほおりこんでおくと手間がない。熱を通すことで粗く皮を剥いた人参の糖度が上がり、卵の蛋白質流動性を失う。食材として流通してきたものとはいえ、最前まで生きながらえていた生命をNとCとHとOと幾許かの微量元素に還元してしまうこの行為はモノを食べるという行為の延長形に違いない。玉葱と胡瓜は生きたまま刻む。年の瀬に買い置きをしておいた泥の付いた玉葱を麻袋から取り出して薄皮を剥ぎ縦に包丁を入れる。片方がまな板の上をごろんと転がり、左右のシンメトリを描いたはらわたを見せる。さらに縦に五回切り込みを入れてから、粗く微塵切りにする。これは細かすぎても一片が大きすぎても駄目なのだ。小口切りにした胡瓜と合わせて塩をふって手で混ぜておく。このまましばらく置いておくと塩が細胞の浸透圧を変化させ水分を吐き出させる。鍋が煮立ってきて5分も経つと茹で卵はいい頃合だ。卵だけ引き上げて水を張ったボウルに浸けて熱を取る。じゃがいもが茹で上がるにはもうしばらくかかる。それまで何をしていてもかわまないが、料理のことだけは忘れるべきではない。これまで使った道具を片付けるのも、出来上がったポテトサラダを盛る食器を考えるのも料理の内だ。それとも料理を食べてくれる誰かに電話でもしようか。じゃがいもは熱いうちに皮を剥き、人参は縦四等分にし横に薄くスライスする。大きなボウルをテーブルの上に出し、安定のために硬く絞った布巾を敷く。ここからは力仕事だ。手をもう一度洗って、ボウルに人参を入れじゃがいもをサイコロ大にほぐしながら加える。もちろん指を使う。器具を使った調理よりも手を使ってこしらえるほうが舌に馴染みやすいから。まだ熱いじゃがいもを力をこめて崩していくのは原始的な気もちよさを与えてくれる。わたしはこの段階で料理の大部分を味わっている。炎と指先は咀嚼の前駆機関であると共に味覚の一部でもある。もちろん目も鼻も耳も身体を動かすリズムそのものも。短冊切りにした茹で卵と微塵切りにしたピクルスを加えて黒胡椒をふる。一番最後に玉葱と胡瓜の水を絞って入れる。マヨネーズを半カップボウルにあけて手で混ぜ合わせればボウルの中身は完成する。


パターンA−3 昭倭七十年 札幌

 風水師はゲオマンシーの十六の形象からViaを取りだし我々の頭上の空間をそれと名付けた。ヴィアは路の呼称であり、名付けられざる風にその生まれた場所を指し示す。幾重にも円陣を組んだ人々の中心に黒田はひざまつくような姿勢で瞑目している。その表情は揺らいでいくつもの横顔が重なり合って見える。これから送り出されようとしている彼の魂が巻き戻されているのだ。
 わたしたちの太陽系にはいくつもの仮想惑星がめぐっている。通常の観測手段ではその大まかな位置しか掴むことができないが、星読みの技術の上では非常に重要なものである。われわれも眠りの中では自由に行き来できるとされているし、仮想惑星自体が星たちの夢なのではないかと主張するものもいる。地球において一番身近な仮想惑星はもちろん地球の仮想衛星であるリリトである。アダムの最初の妻の名が付けられたこの星からは、その真の主人、すなわち仮想の地球が見渡せるという。これまでその位置すら掴むことのできなかった仮想地球。その住人たちはリリトの子供たち……リリンと呼ばれ、リリンとは悪魔たちの二つ名であることから仮想地球はゲヘナと呼ばれる。誰も帰ってこない国、時間の連続から外れた地獄。
 それでも行ってみたいのだと黒田は言った。月を見て感じるわけのわからない望郷の念を確かめてみたい。伸ばしっぱなしの前髪は黒田の表情を不明瞭なものにしていたが、ときおり覗かせるその目は健全な意思の力を感じさせた。わたしは自分の編んだキープを押し付けるのがやっとだった。この組み紐はそのパターンによって様々な意味をもたせることができる。わたしはようやく覚えた二重言語を二つの要素に振り分けた。黒田の愛したこの街の空気と一番好んだ酒の香りとに。
 あの人は行ってしまった。
 儀式の終焉は唐突で、これまで中心から吹き付けていた風が一気に逆流すると、黒田の姿はもう消えていた。替わりに塩の柱が夕陽を浴びて茜色に輝いている。風水博士たちが的確な動作で紋様を還元していくのをわたしはただ見ていた。
 わたしはちゃんと黒田を送り出せただろうか。涙を堪えてくしゃくしゃのわたしの顔を、それでも黒田は見届けていってくれただろうか。


パターンB−3 1995年 札幌

 ポテトサラダにいい感じで味が染み透るまであと幾分時間がかかる。わたしはキッチンの20ワットの蛍光灯の斜めに照らす部屋で秒針の休まないことを見張っていた。母と姉の帰りはいつもよりも遅いようだ。勤め人の彼女たちと朝の遅いわたしが顔を合わせるのはいつも夕食時だけだ。リビングの明りが灯いていないのを通りから眺めて訝しがるだろうか。午後七時十二分。電話が鳴るのをコール一つでとる。
「はい、……」
「あ、いたいた、良かった!すぐにこっちに来なくちゃ駄目よ。わたしもびっくりしたんだから」
 同じゼミの環生の声だというのは声を聞く前からわかっていたような気がした。電話は『ちせ』からだった。学校の友人達の溜り場のようになっている喫茶店だ。そういえばこのしばらくわたしの足は遠ざかっていた。興奮気味の声でゼミの先輩が旅行から帰ってきたと告げた。どきりとした。わたしの数刻前に訪れた高層アパートはそのKが住んでいるものだった。Kは荷物を別便で送り、空港から直接『ちせ』に現れたのだという。
 わたしは彼に幾ばくかの餞別と料理を奢るという形で貸しがあった。彼はそのかわりに旅先で見つけた一番の酒を持ってくると言っていた筈だ。六週間前の話だ。とても昔のことのような気がした。
「ねえ電話かわろうか?」からかうような調子で環生がいう。
「いや、いい。すぐに行くから」
 口はコミュニケーションの道具だが何も言葉を発するだけとは限らない。舌にふれる触覚や口腔に拡がる香りや味蕾の感じとる味が心を伝える道具となる事もあるだろう。あるいは唇に触れる体温が。
 わたしはタッパーウェアと何か気の利いた包みがないかと考えていた。
 このポテトサラダをあの人に食べてもらおう。