壬生邸の庭

本と物語が好きな転勤族

リハビリ

『リハビリ』


 視界の片隅がチカッとまたたいた瞬間、俺の全身は千度の火炎に包まれていた。テロリストどもが最近使い始めた、燃焼剤入りのカクテルボムだ。外気から閉鎖された地下道でこれを使われたら、首都警の重ジャケットでも耐えられない。まず酸欠で脳がやられる。
 そんなことをぼんやり考えることができるのは生きのびたからだ。俺は周囲を見回そうとしたが、全身の感覚が無い。視覚のみ生きているがまばたきができない。皮膚が焼けたせいで、再生槽にでも入れられているのだろうか。
 視界に特徴のある彫りの深いヒゲ面が映った。これまで見えていた白っぽい光景は病室の天井だったようだ。人物は救命救急センターのドクターイブラヒムだ。移民ながら実質このセンターの中心人物で、中央へのコネクションも太いという噂だ。俺も身体強化ドラッグ絡みのヤマで何度か意見を求めたことがある。
 イブラヒムは俺の目を覗き込むと手を振って、何事かしゃべった。何を話しているのかは全く聞こえないが、周囲に何人かいるようだった。少し不愉快な気分になり口を開こうとした瞬間、俺は意識を失った。

 二度目の覚醒には音が付いていた。見えているのはまたイブラヒムだ。
ヤマザキ巡査、私が見えるかね?」
 俺は肯こうとしたが、相変わらず身体感覚は喪失したままだった。
「ああ、起きているようだね」
 イブラヒムは周囲になにかの表示を見て取ったようだ。
「まだ多少の不自由はかけるがもう少しだ。すまんがもう少し眠っていてくれたまえ」
 どこが“多少”だ、と言い返したかったが奴は俺の意識を自由にオンオフできるようだった。「呪われろ」という呟きはイブラヒムには伝わらなかっただろう。

「きみが今生きていられるのは爆発の瞬間気絶したおかげだよ。他の連中はジャケットのおかげで身体は保護されたが、その後の酸欠で脳死してしまった」
 三度目のドクターとの会見は不愉快極まりない状況で始まった。視聴覚は回復したが、まだ体はコンクリートに埋められたように感覚が無い。
「で、俺はくたばり損なって回収されたと」
 気味の悪い甲高い合成音が響く。これが今の俺の声らしい。
「そう。意識不明のうえ、鎮静剤が体の酸素消費量を抑えたのが良かったな。ただしきみの体はジャケットに焼きついてしまって、再生も不可能な状態だった」
「で、この体は? なにか特殊な義手なのか」
 俺はリクライニングベッドに背をもたれかけさせながら、唯一自由になる両手を見た。オレンジ色のちんちくりんな手が目に入る。動くことは動くが触感が無い。指先も首も動かないので毛布に隠された下半身は見ることができなかった。
「実は手だけじゃない」
 イブラヒムは哀れむような表情で、しかしどこか得意げな日本語で言った。
「きみの全身は機械に換えさせてもらった。生身の部分は中枢神経のほとんどと舌だけだ」
 反射的に俺は舌で唇を舐めた。滑らかなプラスチックのような触感が伝わる。目覚めてはじめて生きている感覚を味わった。
「この措置は首都警特別法の人身保護特殊条項によって行われた。君の身柄はしばらく首都警の管理下に置かれるが異存はないかね?」
 ハッと俺は笑った。残念ながら音声にはならなかったが。
「重ジャケット隊に配属された時点で金玉までお上に持ってかれたようなもんだ。あんたのほうがよく知ってるだろ。」
「それは覚悟のよくできていることだ。きみの上司から受けた報告通りの精神面での強靭さだ」
 イブラヒムは安心したように笑みを浮かべた。所属は違えど彼のような、俺から見たら遥か上の地位の人間がここまでの配慮を見せるとは正直意外だった。
「で、なんだ俺はロボコップにでもなったのか?」
「……あぁ、昔そんな映画があったな。似たような物だがこの国にはもっと愛されているロボットがあるだろう? 鉄腕……なんとかとか。むしろそちらに近いな」
 イブラヒムの微妙な語調に俺は悪い予感を感じた。奴の差し出した一枚のスチール写真が目に入った。大きな耳に特徴的な触角。そして鮮やかなオレンジ色に染まった全身。
「……ピーポくんか」
 気が遠くなる感覚と共に巨大な喪失感が襲ってきたが一瞬のことだった。この機械の体のバイタルセンサーは、情動を完全にコントロール下に置いているようだった。
 俺は今後SPとして重要人物の警護に“さりげなく”置かれるそうだ。ほかにもなにごとかドクターはしゃべっていたが、俺は聞いちゃいなかった。重ジャケットの倍以上の強靭さを誇るというこの体をどうしたら壊せるのだろうと考えながら。