壬生邸の庭

本と物語が好きな転勤族

インディアン様

『インディアン様』


「またドリームキャッチャーだ」
 和歌山奈々は声に出さず呟いた。
 女子生徒の渡す硬貨を半ば自動的に受け取り、レジを打ちドロアーから釣り銭を渡す。彼女が『ドリームキャッチャー』と名づけている、紐の結わえられた五十円玉はレジの硬貨置き場に収められた。
 奈々はこの学園の食堂に勤めはじめて半年になる。ここの卒業生でもある叔母の紹介で、地元の公立高校を出てすぐに就職できた。以来レジ打ちが彼女の担当だった。五十種類を超えるメニューの価格もすっかり頭に入り、釣り勘定で間違いをして慌てることも今では無くなった。
 昼休みも残り十分を切り、カフェテリアに並ぶ生徒の数もまばらになってきた。自然、レジ打ちの作業も手すきになる。
「佐賀さん、これ何だと思います?」
 かざすように奇妙な五十円玉を指でつまみ、隣の列の同僚に声をかけた。
「ああ、収まりが悪いから困るわね。私はすぐお釣りで渡しちゃうけど」
 佐賀和子は自分のレジのドロア―に目をやり、同じ五十円玉を探したが今日は無かった。肥った指で眼鏡を押さえながら奈々の差し出す硬貨を覗き込む。
「そういえば、娘がインディアン様って呼んでたのがこれかしら」
 和子が言うにはインディアン様というおまじないが、女子生徒の間で流行っているのだという。まじないに心当たりは無かったが、自分のつけたドリームキャッチャーという名前との関連に奈々は興味を覚えた。五十円玉の穴には細い革紐が通され、羽毛の切れ端が結わえ付けられている。従姉から貰ったネイティブアメリカンのみやげ物に似ているのでこの名前を思いついたのだ。
 バレれば咎められたかもしれないが、自分の小銭と交換にその五十円玉を奈々は集めていた。紐の色や通し方のバリエーションが楽しかったし、良い夢を集めるというドリームキャッチャーの願掛けに通じる気もしていた。

 食堂は教職員の為もあって比較的長時間営業している。高校の食堂なのだから営業は昼だけだと思っていた、就職前の奈々の目論見は外れたことになる。それでも一番込み合う昼休みを過ぎるとレジも一つを除いて閉められ、奈々は休憩時間に入った。自分の昼食の調理パンと野菜ジュースの紙パックを手に今度は奈々自身がレジに並ぶ。列の前では小柄な女子生徒が清算を待っている。単位制を大幅に導入しているこの学園では、時間割に空きができる生徒も珍しくない。支払いをする女子生徒の指先を、奈々は職業的な癖で目で追っていた。受け皿に置かれた五十円玉を彼女は見逃さなかった。
「ごめんなさい! ちょっと待って」
 人のまばらなテーブルのどこに座ろうか見回している女子生徒に奈々は声をかけた。清算の際に五十円が釣りになるようにした彼女の手には、女子生徒の支払った硬貨が握られている。佐賀の言うように奈々以外の従業員はこの五十円玉をすぐ釣りとして渡してしまうようだ。
「あの……これについて教えてくれない?」
 女子生徒は暗闇で声をかけられでもしたかのようなギョッとした表情で振り向いた。
「あの、和歌山さん……ですよね?」
 彼女の不審気な表情は、奈々の突き出した手のひらの五十円玉を見て了解から落胆へ変化した。
「あーあ……」と女子生徒は演技じみたため息を漏らした。
「これじゃまた願の掛けし直しだよ……」
 向かい合ってテーブルに付き、ハルコと名乗った生徒は願掛けの種明かしを語った。願い事を決めて、この食堂の支払いに五十円玉を用い、後に自分の出したお金が返ってくると願いが叶うのだという。紐飾りはその為の目印としてつけているのだった。おまじないのお金を奈々は貯め込んでいたわけで、これでは何時までたっても願いはかなわない。ハルコという少女の落胆の表情の意味をようやく奈々は悟った。
 それよりも驚いたのが、ハルコが奈々の名を知っていたことだ。食堂の従業員は全員名札をつけているが、生徒が自分たちを気にかけているとは奈々は思っていなかった。
「あなた、有名人よ」
 茶化すように去り際にハルコの言った言葉をどう捉えて良いのか、釈然としない気持ちで奈々は彼女の後姿を見送った。