壬生邸の庭

本と物語が好きな転勤族

来たる船

『来たる船』

 

 娘が生まれたとき、大きなるブラガトは既に歳老いておりましたので、ついに跡目を継ぐ息子を得られませなんだ事を嘆いたものでした。
 野蛮なことで知られたグメイサの民を討ち従えたオンゲンの血に連なるルゲリ家もブラガトとその三人目の連合いのノヨンのほかは既に絶え、広壮な屋敷は多くは窓が抜けクルエリの嶺から吹きおろす寒風の吹きさらすままになっておりました。
 それでも娘は全能なるソールの寵愛を受けられるようソールの末の娘と同じエリヤと名付けられ、まだ若かったノヨンは産声をあげることもできずに死んでいった他の子供たちの分もエリヤを慈しみ愛情をそそぎました。
 サクソスの民の古い血に連なるとはいえ、ルゲリの家にも平民の血が混ざっていました。偉大なる黒髪王オンゲンのごと、黒くて豊かな髪を誇示することが貴族たるものの誇りとされた時代は過ぎ、グメイサと国を境とする諸王の中には、赤い髪を持つものさえあったのです。
 それゆえ歳老いすっかり髪の色も抜けたブラガトは、黒く艶やかな髪に生まれついたわが娘をおおいに自慢とし、たまの宴の席には娘をかならず自分の脇に座らせたものでした。
 エリヤはその髪が健やかに伸びるごと、心根の真っ直ぐな優しい娘でした。身分は高かったけれどルゲリの家は貧しく、エリヤの財産はその美しく輝く黒髪のほかはなにもありませんでした。
 それでも駱駝鳥の背にまたがって城塞を抜け山間の耕地を駆ければ、人々は穀物の世話の手を休めエリヤに笑顔で応えるのでした。


 ルゲリ家の古くから領するエポイナの人々は近隣とくらべても貧しく、昔から暮らしは楽なものではありませんでした。それでもこの混乱の時代にもそれほど暮らしを変えなくともよかっただけ幸せだったのかもしれません。人々の不安の一つは、東方のグメイサの民のことでした。
 ソールの寵児、黒髪のオンゲンがグメイサの侵入を打ち破り、それまで互いに争っていたサクソスの民を一つに束ねてのち三百もの冬がめぐり来たといいます。
 駱駝鳥をもちいず青白い肌をしたグメイサは長いことサクソスの民に従い、古き約定に従って実りの季節には貢納を欠かしたことはありませんでした。
 山がちで冷涼なサクソスの地にくらべても、グメイサ人の土地はごつごつとした岩地が多く、おおいに豊かとはいうわけではありません。それでもグメイサ人は穀物を納め、あまつさえグメイサの特産品である鉄を、サクソス人の鏃のために鋳るのでした。
 いまやそれも年寄りの昔話となりました。グメイサ人がサクソス人のもとを離れて久しく、サクソス人の誇りまでもどこかに失せてしまったようでした。
 グメイサの民がサクソスの支配を撥ね退けて勝手な動きを見せはじめたその原因は、あのおそろしい空の顔としか考えられません。
 そう、人々がもっともおそれていたのは空の顔にほかなりませんでした。空の顔がはじめてこのエポイナの大地に姿をあらわしたのはブラガトがまだ力強い青年で、ルゲリ家の男たちが何十頭もの駱駝鳥を駆ってエポイナ中の領地をめぐっていた頃のことでした。
 それを一番最初に見たのはサクソスの民の中ではもっとも東に住む、オトラのドマルクの氏族であったといいます。三日三晩にわたって白い光が東のグメイサ人の地に墜ち、ドマルクの王は九人の若者を選び出してあたうかぎり早く駱駝鳥を駆り彼の地で見たものを伝えよと命じました。
 駱駝鳥が泡を吹いて倒れるごとに若者達の数は減り、六日の後にドマルクの王の御元へ戻り来たるはたった二人の若者だけでした。
「王よ、我等はグメイサ人の地で信じられぬものを見ました」
 ろくに休みもとらず駆け続けていたので、若者達の頬は痩け衣装は汚れきっていましたけれども、その目はらんらんと見開かれていました。
「かの空の顔はグメイサの地に大きな塔を建てておりました」
「蛮族どもの言うことには、空の顔は三日三晩彼の地を飛び回り、三日目の払暁キトの野に空を摩するような白い塔の立つのを見たのだと」
「して、おまえ等はその塔なるをその目で見たのか」
 その顔に刻まれた皺の数ほどの経験を重ねてきたドマルク王は平生と変わらぬ様子で、小鳥のように落ち着きを失っている若者達に問いました。
「見ましたとも!王よ」
 二人は声をあわせて叫び、そしてそれ以上言葉を続けられなかったのでした。
 ドマルク王の召集でサクソスの諸王が集められ、強靭な合成弓を手に矢音にも驚かぬよう躾けられた駱駝鳥にまたがった兵士達が、たくさんグメイサの地へと向かいました。
 グメイサの愚かな民草はサクソスの騎兵を恐れておりましたから、猛々しい軍隊のやってくるのを見て慌てふためきました。けれど、夜空を飛び回る白い顔の奇怪さにもさんざん悩まされていましたから、それでも期待を持ってサクソスの兵士達を見送ったのでした。
 戦いはサクソスの兵士達の一方的な敗北に終わったといいます。キトの野に青白い光が煌めくと、その幾百幾千になんなんとする強者とその忠実な駱駝鳥は塩の像が溶け崩れるように灰になりました。そのあとに残ったのは、月の光をあびずとも自ら光を発しているかのように皓皓と冷たく光る白い塔ばかり。
 サクソスの王達はこの知らせをきいておおいに驚き嘆きました。この数十年というもの、サクソス人は他所の民との戦いで遅れをとったことはなかったのです。兵士達の中に王の子息や兄弟、身内のものが多く含まれていた事も人々の悲しみを深いものにしました。
 それにも増して王達を驚かせたのは、突然のグメイサの裏切りでした。
「われ等は新しい王を得た。空の人のもたらした白き光と共に古き忌まわしき盟約は焼き棄てられた。これよりサクソス人の我等が領土への立入りは、死をもってあがなわれることであろう」
 諸王の面前でこれをよみ上げた不具の伝令はその場で射ころされたといいます。
 空の人はグメイサ人と交易を始めました。一つの季節に数度、空をゆく白い顔が二番目の母の月よりも明るく東へと渡ってゆきました。そのたびにグメイサ人は奇妙な道具を用いるようになり、サクソス人への態度は尊大なものへとなってゆくのでした。
 グメイサ人の何代も続いた貢納は絶え、なすすべもなくサクソスの民は窮乏を味あわされることとなりました。人々は唯一の財産ともいえる駱駝鳥と合成弓を人手に渡し、日々の糧を求めました。ルゲリ家のような貴なる血筋も例外ではありません。いいえ平民のような蓄えも、身過ぎ世過ぎの手立ても持たず、戦うことをもっぱらにしていた貴族がまっさきに落ちぶれてゆくのでした。
 黒い髪の姫ぎみたちは、次々と平民へと嫁してゆきました。なかにはグメイサの豪族に嫁いでゆくかわいそうな娘もあったのです。オンゲンの末裔、ソールの愛し子たち。黒髪の娘を失う悲しみはサクソスの民から光を奪ってゆきました。


 さて、始めてそう云ったのはカンクワルの里の盲いた媼だったといいます。今わしらの見ている空の顔は、その本当の姿ではない。
 媼は死人の霊と話ができることで辺りの人々から特別の尊敬と畏怖を持って扱われていました。老婆の言葉は不思議な力を持ち、普通の人の話すこととは少しも似ていないものでありました。
 媼はまた云いました。遠からず真の光の舟がおとずれる。サクソスの祖霊を乗せたその舟は、素晴らしい品物を山積みにしているだろう。
 その言葉は何と素早くサクソスの人々の胸にしみこんでいったことでしょう。媼はまもなく亡くなりましたが、彼女の言葉を信じる人はさらに増え続けました。
 空の顔は、星ほどの高みより巡り来ては去る異郷の人々の船だとグメイサは言います。我等は彼らが白い塔をつくり自由に行き来することに手出しをせず、かわりに彼ら空の人の庇護と慈悲と富を受けとるのだ、と。
 空の人は滅多にサクソスの領土へやってくることはありませんでした。それでも人々は空の人のもたらす錆びない刃物やおそろしく硬い貴金属、美しい織物を持って、近頃では遠慮会釈なしにうろつくグメイサの行商人から、星よりも高く飛ぶ白い顔の話や、白い顔に乗り来たる空の人の不思議な容貌について伝え聞くのでした。
 空の人のもたらす富と、いよいよ我が物顔のグメイサ人を見るにつけサクソスの民の失意と羨望はいやましました。そして奇妙なことにそうした心は、真の光の舟がサクソスに往時の富と権威を取り戻させるという信仰を強固なものとしてゆきました。
 彼らは光の舟を指して、スンカワカン……伝説にいうところの冥界の門番にして騎兵……と呼んだため、スンカワカン信徒と呼ばれました。サクソスの諸王の中でももっとも古くもっとも力強いエトキルのマグス王は彼らを保護し、エトキルは救いを求める人々の訪れる巡礼の地となったのです。
 サクソスの古都エトキルは途轍もなく大きな岩山の上にありました。白毛の駱駝鳥の脚でも一巡りするのに半日はかかるといわれる岩山は、大昔の石造りの街のなれの果てだと言う者もあります。
 年に一度の夏至の大祭にスンカワカン信徒たちは歌を捧げ、祖霊のために舞い、真の光の舟の降り来たるを待ち焦がれました。王の蔵からは人々に酒が振舞われ、まつりは三日三晩続きます。その間、エトキルの街は祖先の霊を迎えるために白い花でいっぱいに飾りたてられるのでした。


 話をソールが愛し子、黒髪のエリヤに戻しましょう。エリヤがその年の神の花嫁に選ばれたのは、彼女が十六の年の春でした。この数年でもっとも美しい花嫁だともっぱらの評判となったといいます。
 そのしらせにエリヤは以外に遅かったとは思いましたが、いまさら心を動かされるようなことはなかったといいます。一方、ブラガトとノヨンの嘆きは尋常一様のものではありませんでした。なぜなら神の花嫁となることはその乙女の死を欲したからです。
 夏至の祭りにエトキルにはスンカワカンの乗る光の舟が造られます。それは不吉な光を投げかけて飛来する空の顔の大がかりな模型でありました。祖霊達が間違って敵の土地へ降り立つことのないように、空からでも間違いなく見分けられる目印となるように。スンカワカンの信徒たちは乾いた木とジの実で青く染めた布で彼らの信仰の拠り所となる真似型を造りました。
「わたしはハースタルに嫁ぐことになるのね」
 エリヤは恐れげの微塵もない穏やかな様子でいいました。
「父さまも母さまも嘆かないで。私は嬉しいくらい。だって裕福な平民の家に嫁げば大切にされるけど、私はこのエポイナを離れる気はないの。それにグメイサの男のものになるなんて考えただけでも真っ平だわ。神様の花嫁になれば、わたしは死せる魂の導き手、冥界の王ハースタルの奥方となるのだもの」
 父親も母親も娘が言うのが一番正しいということはわかっていたのです。黒い髪のエリヤ、古い血をもっとも純粋に受け継ぐ最後の娘。冥王の花嫁としてもっとも相応しいと人々が認めた以上、それに従うことはサクソスのしきたりで第一に大切なことでありました。
 祭りのさなか、神の花嫁は木組みの舟の中にこもります。乙女が冥王と契を交わすことで人の世と冥界は互いを結び付けるのです。スンカワカンの神官達はそう考え、数年来貴なる冥界の王に相応しい美しく理想的な乙女を差し出してきました。
 儀式の日までに祖霊たちが現れなかったときは……これまでいつもそうだったのですが……人の手になる舟はその中に花嫁と形ばかりの貢ぎものをかかえこんだまま火を放たれました。
 儀式の日までに祖霊を乗せた光の舟がやってこれなかったのは、人の世へといたる道を見失ったためだと考えられたから。少女は舟とともに炎に呑まれることで祖霊を導く存在になるのです。


 エリヤは賢い娘でしたから、両親や領民たちの前では決して悲しいそぶりを見せませんでした。嘆いたところでどうしようもない悲しみが増すばかり。もし祭りが不首尾に終ったときには、ルゲリ家の名を貶めることになりましたから。
 夏至の大祭までまだ日がありました。恐ろしい空の顔は音もたてずに全天の半ばほどを青白く染めて東へと向かいます。冬の間はまだまばらだったものが、ちかごろ飛来する回数が多くなったような気がします。
 エトキルよりスンカワカンの僧がルゲリ家の城にやってきたのは、その年の雪解けから数えて五回目の空の顔が、その美しくも不気味な姿を現した次の日のことでした。
「忌々しい空の顔がまたグメイサどもの地へむかっていった。この辺りでは滅多に見かけぬようだが、グメイサ商人どもの増長、近頃ではまったく鼻持ちならん」
 壮年の僧はクイネルと名乗り、エリヤに大祭までの事と次第を伝えるためにやってきたのだと申しました。
 ぞんざいな様子で旅装束を使用人に取らせ、肉のだぶついた顔をした僧は城の質素さと閑散とした様子に少なからず驚いた様子でした。「しかしいかに辺境の地とはいえ、こうも不便な御様子。さぞ寂しいことでしょうな」老いた両親は暗い沈んだ目をして何も言いませんでした。
「僧正様。グメイサの民はそんなに裕福な暮らしをしているのですか」エリヤが尋ねました。
「そうですとも美しい姫君よ」
 さしも尊大な僧もエリヤの美しさを目の当たりにして高慢な顔色を無くし、臣下の礼を取りこたえました。
「きゃつらグメイサの民は、偉大なる我等が始祖オンゲンに受けし恩も忘れ果て、プルカワどもとの交易に夢中になっておる。しまいには自分たちの息子を売ってまでも取り引き熱にうかされかねん」
「空の顔?」
「そう、プルカワなのだよ。グメイサ人に奇妙な乗物や恐ろしい武器を与えておる。このままではサクソスの民まで空の人のいいなりになろう」
 クイネルは苦々しげに言いました。
「それでは我等が始祖は空の人の乗物にのってやってくるのですか?」
「それは考え違いというものです、姫よ。祖霊の降りきたるはハースタルの慈悲、全能なるソールの思し召し。空の人の到来で受けし長年の苦難を癒すため奇跡が起こるのです」
 僧は幾度となく同じ文句を語っているのでしょう。淀みなく答え言葉を打ち切りました。目を堅く結ぶと何やら瞑目しているようです。
「ところで、なにぶん長旅のため私は疲れた。とりあえず部屋へ引き篭らせては呉れまいか」


 この辺りの土地にエトキルの高僧がやってくるなど、滅多にないことでありました。すぐに噂が広まり、次の日には近辺の村むらから城塞に人々が詰めかけました。青い僧衣を身につけ、クイネルは言います。
「そなたらはこのエポイナの地からハースタルの花嫁を送り出せることを誇りに思わなければならない。夏至の祭典には我等が始祖オンゲンの御霊にひき連られ、誇り高きサクソスの古風が蘇る。愚昧なるグメイサ人に虐げられ、夜空を覆う空の顔に怯えることもなくなるのだ。空の人の持ち来たるような品物を羨むことはない。真の光の舟が我等に価値あるものをもたらすであろう……」
 神の花嫁になることが決まってから、エリヤはなるべく人前に姿を現さないようにしておりました。結婚の儀が済むまでみだりに出歩かないのがここらのしきたりでしたし、この歳になって子供のように駱駝鳥を乗り回すのははしたないこととされていましたから。
 クイネルが館の前の広場で人々に釈くのを上の階にある自分の部屋で聞きながら、エリヤは一人考えておりました。そもそも僧たちのいうように古き魂が再び蘇るなどということが有り得るのかしら。空の人はグメイサの民に施しをなすというけれど、それは彼らもただの交易人だからじゃないのかしら。
 エリヤも魂は常によみがえり、夏至の祭りには冥界と現世との境が一番薄くなるということくらい知っています。だから夏至の大祭にエトキルでは、真の光の舟より降りたつ偉霊のあることを待ち望むのです。でもそうした古い魂が、空の人の持つような奇妙な品物を携えてくるという教えはどうにも納得のいかないものでした。
 それでも人々がそれを待ち望んでいることは痛いほどわかりました。たとえそれがほとんど現実味のない望みだとしても。エリヤにはそれで十分だったのです。
 その晩遅くクイネルは慌ただしく館を去ってゆきました。小さな鍛冶屋の月がちょうど沈もうとしていました。エリヤに一通りの説明を済ませ、この辺りの人々に僧団の威光を見せつければ他にすることもなかったのです。エリヤの迎えには六頭立ての駱駝鳥に輿を引かせるということでした。


 エリヤの気がかりは歳老いた両親のことでした。どちらにしても自分がいなくなれば、彼らの生活にははかない望みすらなくなることでしょう。
 ブラガトはじめじめとしてほのあたたかい地下室で、めっきり量の多くなった醗酵酒を手に云いました。「わしからおまえにいまさらなにが言えよう。この地にとどまるも彼の地へ赴くもおまえの好きにするがいい」
 じっと聞いているエリヤにブラガトは赤い目を向けました。かつての重々しい力は失われておりましたが、おのれを虚しくするほどの悲しみを抱いたものに合い通ずる穏やかな瞳でありました。
「老いた貴なる血が人々を縛る時代はもう終りなのかもしれん。おまえはおそらく、祝福されて生まれた最後のサクソス貴族となるのだろう。この黒い髪は……」
 ブラガトはエリヤを傍にひきよせ、おさなごを慈しむようにエリヤの髪を撫でました。ほの暗い地下室で獣脂の蝋燭のまたたく明かりが少女の横顔を照らしています。黒曜石の細工物のようなエリヤの髪はまるで闇の凝り固まったもののようでした。
「この黒い髪はおまえにはつらいことばかりを与えたな。でもわしはおまえの見事な髪を本当に誇りに思っておるよ」
 エリヤのエトキルへと送り出される朝、ノヨンはエリヤに片方だけの耳飾りを与えました。悲しみを押し殺すばかりに滅多に奥の部屋から出てこなかったノヨンも、婚礼の門出の朝は晴れがましい表情をしておりました。
「さあ、おまえにこれを」
 ノヨンの皺の目立つ、歳よりも苦労を重ねた小さな手にそれは包まれていました。
 大きな青い宝石が耳飾りにしつらえられています。しっとりと重く、吸い込まれそうに青く滑らかな手触りはエリヤの初めて目にするものでした。
「これは……?」
 色鮮やかな婚礼衣装に冠から布の靴まで身を包んだエリヤは、まちがっても落とさぬようてのひらに水を掬うかに青い貴石をうけとりました。
「私がおまえのお爺さんから貰ったものだよ。ルゲリの家に嫁いでくるときに私の身につけていた一番の財産だ。さあ、いいから持っておゆき」
 耳飾りは片方しかありませんでした。もう一方ははじめからなかったのだとノヨンは言いました。婚礼衣装にあわせて髪を結い上げていたエリヤは、片方だけでも不吉とされない右の耳に宝石をつけました。色とりどりの布を巻き合わせた衣装ととエリヤの黒い髪に映えて、宝石は名高いシタンの湖よりも青く光を反しました。
 両親はエトキルへはついてきません。館からなだらかに下る坂道を、エリヤは駱駝鳥の牽く輿に乗ってゆきます。エリヤが幾度振り返っても館の城塞の上には二人の人影が見えました。しまいに館が後ろの岩山と区別がつかなくなっても、二人がそのままこちらを見つめているようにエリヤは思いました。


 よく躾けられた駱駝鳥の輿でも、エトキルまでは五日の道のりです。よく日に灼けた御者は熟達した手綱さばきで、駱駝鳥の息を上げさせることもなく山道を越えてゆきます。鉄を鱗のように縫い込んだ珍しい鎧をつけたエトキルの僧兵が六人。エリヤは自分には過ぎた護衛の数だと思いました。
 雨の滅多に降らぬ乾期のこと。夜には従者たちは火を囲んで地べたに眠ります。エリヤは手足は伸ばせないけれどしっかりとした作りの輿の中で静かに時をすごします。山道はしだいに開け、乾いた色の草原を眺める旅が続きます。
 城址が近付くにつれ道は石畳の広いものになり、祭りを見込んでたくさんの品物や食べ物を運ぶ行商人や、物見だかい見物人、そして熱心なスンカワカンの信者たちの姿が多くなります。
 数百年の長きにわたりエトキルの人々を守ってきた西の大門は、なだらかな登り坂の先にありました。平野の中に突然頭をだした高台の上に、しがみつくかのように石造りの街はつくられています。異民族との戦いが幾度となく行われた暗黒時代においても、一度たりとも門のうちに敵を入れたことのないという伝説が諒解しうる高さと重さが、そのそばによるほどに感じられるのでした。
 荒涼とした平野と乾いた畑地を見慣れた目に映るのは新鮮な果実の赤、鮮やかな黄色の黄銅鉱で葺かれた家並み、狭しと張り出された露店の青く染めた天幕の色でした。そのいずれも故郷の小さな市しか見たことのないエリヤには、まぶしいほどに色鮮やかに映りました。
 サクソス一の大都は明日から始まる夏至の大祭の準備で、人と物とそして言うに言われぬ熱気でむせ返るようでした。人の頭よりも肩の位置の高い、長い灰色の毛に覆われた四足獣はグメイサの民の能く使役するものです。穀物や酒の入った樽や生きたままの禽獣を載せた貨車を牽いて、うっそりと石畳をゆく獣の姿は話に聞くよりも大きなものだと思われました。
 エリヤを乗せた輿はそろそろとエトキルの目抜通りを通ります。今年の祭りでエリヤに課せられる役割は大層なものでしたが、それだけに軽々しく到着を喧伝されることはありませんでした。エリヤが神の花嫁としてお披露目されるのは明日の晩と決まっていました。そうして三晩にわたる祭りの夜が始まるのです。
 それでも少女の初めて目にする賑やかな都会の喧噪は差し迫った運命を遠ざけ、この年頃らしい好奇心をかきたてずにはおられません。輿の紗の掛かった小さな窓の隙間からエリヤの目を惹いたのは、奥まった路地に店を開く宝飾品の露店でした。
 あたりに軒を並べるほかの店と同じく日除けの白い布を天幕とし、粗末な木の台の上に品物が置いてあります。他と違うのは客が直に飾り物に手を触れられないように台の前に主人が陣取り、店と街路の間に膝くらいの高さの仕切りが設けられているところでした。
 ちらとしか見ることはできませんでしたが、エリヤは……そう確信しました。「輿を停めてください。ほしい物があるの」エリヤの目には確かにそう見えたのです。
 一度街に入ったら教団の敷地につくまで少女を降ろしてはいけないと、実直な従者は命令されていました。駱駝鳥に跨り輿に並び従ってきた年配の僧兵は車へと位置を寄せ、エリヤの真っ直ぐなたじろぐことのない瞳をほんのひととき覗き込みました。道中ここまで手を煩わせなかった少女の、最後の頼みに憐愍の情がわいたのでしょうか。従者は顔をあげると、掛け声で御者に合図をし輿を停めました。
 エリヤは従者に目で礼をおくり、日除けのショールを目深にかぶりなおすと人で溢れかえる小路を素早くかけだしました。ここまで付き従ってきた僧兵の長は、駱駝鳥から降りると少女と距離を置いてその後ろ姿を追います。
 わずかとはいえ強烈な日差しにさらされた目に、その露店のくらがりはひんやりとした実体を持っているかのように感じられました。小さく息を吐き身を踊らせるように現れた少女に、露店の主は少なからず驚いたようでした。それでも太った老人は愛想笑いのつもりか細い目をさらに細くしてエリヤに声をかけました。
「これは、これは。ソールの恩寵を受けし其方の美しさに幸い在れ。そんなに息を弾ませて何が入り用ですかな」
 エリヤの目は品物を並べた真ん中あたりに注がれています。まちがえようもない輝きが最初にエリヤの目をとらえたままに在りました。目敏くエリヤの耳もとを見てとった老店主は云いました。
「なるほど。ここに在るのはもともとあなたのご先祖様のものらしいの」主人はもったいつけた仕草で大振りな青い耳飾りを取り上げました。エリヤが数日前に母親から譲り受けたものにそっくり同じに見えました。「これとお嬢さんの片割れはおそらく元は一組みの物。この耳飾りの出来し由来をご存じかな」
「……いいえ。私の母は何も。ただ我が家に伝わっていたのはこの片方だけだと」
「よろしいか。わしも色々な品物を扱って長いが、こんな石はこれまで見たこともなかった。なんでも元はといえば空の人の持物だったとか」
「プルカワの? それではあの人達も私たちのように宝石で着飾ったりするというの」
「いやそうじゃない。ご覧なさい」主は手にした耳飾りをエリヤの顔に突き出すようにして言葉を継ぎます。
「この銀飾りはグメイサの匠の手妻じゃよ。おそらくプルカワから石だけ買取って耳飾りに細工したのだな。どうして片方が其方の手に在り、もう片方がわしの元に流れてきたかは知らんがの」
「それで……あの……」
「どうかね。お嬢さんなら二千クランで譲ってあげよう」
 太った老店主は老獪さに粉砂糖をまぶしたような人好きのする笑みを浮かべてエリヤに話を持ちかけます。
「でも……わたしはお金をもっていない」
「なに、あとで家の者に金を届けさせればいいじゃないか。どの辺りに住んでおるのだね」
 店主はエリヤの身なりからどこかの豪商の娘だとでも判断したのでしょう。なおも熱心に持ちかけます。
「御父上に話しづらいなら、このわしが出向いて口をきいてさしあげよう。……いやいやそんな変な顔をせんでくれ。わしもこの路地に店を開いて長いが、こんなあつらえたように似合う石ははじめてだ。耳飾りの片割れが、其方をここに引き寄せたのだよ……」
 その耳飾りの代金を支払ったのは、エリヤのあとを追ってきた寡黙な僧兵長でした。彼にもその程度の権限は任されておりましたから。エリヤはひとこと礼を言い、僧兵長は仕草で輿に戻るよう促しました。そのあと互いに言葉を交わすことはありませんでした。


 両の耳に青い耳飾りをつけ、結い上げていた腰までの黒髪をといて、少女は高い塔の一部屋に居りました。すでに日は暮れ、豪奢な壁掛けや毛足の長い毛織物のふんだんに使われた部屋は、明るい燭台に照らしだされています。エリヤが故郷から着てきた山岳地方に特有の婚礼衣装は脱がされ、この祭の間中エトキルの街の至るところに飾り付けられる青い色の礼服が彼女の新しい姿となりました。
 僧院の人々の物腰はとても丁寧なもので、必要なだけしか話せぬのかと思うほど口数も控え目なのでした。
 エトキルの王は、老いた長身に賢しげな、しかしどこか物悲しげな目を填め込んだような人物でした。反対に肩幅の広いずんぐりとした教主は、喧しく喋りたてるような落ち着かない男だとエリヤは思いました。
 とりあえずの目通しの後は、エリヤにはすることもないのでした。とはいえエトキルの街の中を自由に歩き回れるわけもありません。高台に立つ僧院の、その一番高い塔にあてがわれた部屋で休むようにいわれたのでした。
 全ての式典は明日から始まるのでした。窓の外からは故郷では感じることのなかった熱を帯びたような、湿った風を感じます。祭典を待ちきれぬ人々の交わす杯のため、街はなかなか眠りにつこうとはせず、ときおり四足獣の長く尾を引くような鳴き声が聞こえてくるのでした。
 エリヤは全てのことを考えてここまできたつもりでした。あるいは、自分はなにも考えないでここまできたような気もしました。父と母を哀れとは思いましたが、自分がかわいそうだなどと考えたことはないのでした。自分を生け贄に捧げる祭で沸き立っている街を目の当たりにしても、高ぶる気持ちを感じこそすれ浮かれかえっている人々を恨みがましく思う気持ちなど思いもよらぬことでした。
 その光を最初に見たのは、おそらくエリヤがこの街で最初だったのでしょう。北西の雲の切れ目から青白い光が見えました。高い空にうすく雲がたなびいてはいました。乾いた空は明るく、はじめは小さな星の様だった輝点は、滑るようにまっすぐ近づいてくるようでした。
 エリヤは部屋をとびだし、この部屋の上。塔のてっぺんの鐘楼の扉を押し開けました。
 錆ついた扉は重く、塔の最上階へはまだ十数段の階段が続いていました。人ひとりがやっと潜りぬけることのできる石造りの階段は、苔むして暗い井戸の底のようでした。エリヤは背をかがめ、よく見えない足元に注意して急な階段を駆け上がりました。
 塔の頂上はまわりに低いてすりのついた、吹きさらしの石舞台でした。エリヤがせわしなくあたりを見回してもすでに光は見あたりません。これまで幾度となく見た空の顔であれば、こんなに早く姿を消すわけがありません。それに光は確かにこのエトキルの街を目指してまっすぐにとんでいるように見えました。
「光は?」
 思わず声が出ました。同時に塔の頂上が白い光に照らされました。つき刺さるような強烈な光はエリヤの真上から降りそそいでいました。
 白い巨大な円盤には微妙なおうとつが浮かび上がり、それは苦悶に歪んだひとの表情のようにも見えるのでした。空の顔は塔の頂上に覆いかぶさるように、立ちすくむエリヤの頭上に音もなくとどまっているのでした。
「あ……ああ……」
 こんなに近付いているのに、光はちっとも熱くはありませんでした。かわりにおそろしい重みが感じられるような気がしました。
 またたくように光が明滅しました。数千人のざわめきが一度におこったような耳鳴りがあたりを覆います。エリヤは必死の思いでそれに耐え、口を開きました。
「光の船よ! あなたは我らの遠き祖父か? 神の花嫁をつれ去りに来たのか?」
 しばらくの静寂は短いものでした。
「あなたの存在を走査させてもらった。はじめまして異星の少女よ。私たちはあなたの呼びかけに応じてここに来たのだ」
 こんどは明瞭な男の声が響きました。
「あなたはスンカワカンの乗手なのですか? オンゲンの末裔をご所望か?」
「申し訳ないがあなたの言うことは半分も私たちにはわからない。私たちは古い助けの声を聞き、その規と務めに従いやってきた。どうしてあなたが結晶発振体を持っているのか教えてほしい」
 ケッショウハッシンタイという耳慣れぬ言葉の意味はわかりませんでしたが、それがこの青い耳飾りのことを指しているのはすぐに察しがつきました。そういえば、と宝飾商の店主の言葉をエリヤは思い出しました。これはもとはといえばプルカワの持物だったと聞きました。
「それではやはりあなたは空の人なのですね。この耳飾りはグメイサ人の手をへて、わが家に古くから伝わるもの。かつてはあなた方の持物だったかも知れませんが正当な代価は支払われているのです」
「……諒解した。賢く勇気ある異星の少女よ。その品物はあなたのものだ。ただその石から洩れている目に見えぬ信号を止めなくてはならない。ほんの少しの間その結晶を預からせてはもらえないか?」
 エリヤは少しの間考えて、答えました。
「かわりにわたしの頼みもきいてほしい……」

 

 


 神官たちが塔の頂上に駆けつけたときには、すでに光の船の姿は見えませんでした。神の花嫁となる少女は……その場に気を失って倒れていたといいます。助けおこして意識を取り戻しても、少女は塔の上で何があったか少しも語ろうとはしませんでした。
 狂熱と祝祭の晴れやかさのうちに前夜祭ははじまりました。通りという通りは白いカムエラの花がばらまかれ、ジで染めた青い布が至るところにはためき、エトキルの街を青空にとけ込ませようという意思が働いているようでした。
 人々は夜も明けきらぬうちから呑み、日が街路に濃い影を落とすのもかまわず踊り、光の船の降りきたるを乞い謡います。
 エリヤが人々の前に姿をあらわしたのは太陽が西の地平線にそろそろ落ち込もうという時分でした。僧院の西の大門が開けはなたれ、身の丈の五倍はありそうな輿に乗せられて少女はあらわれました。鉄の武具で飾りたてられた駱駝鳥が伝説のとおり九頭で輿を牽きます。青い布で覆われた輿は真の光の船を模して造られていました。その舳先にみえる小さな人影がエリヤでした。
 無表情に、しかし確固とした意思を秘めたようなその横顔は、高い位置にあってもはっきりとした印象を与えるものでした。簡素ではありますが手のかかった青い婚礼衣装に身を包み、両耳には大ぶりの青い宝石が輝いています。
 エリヤは世にも貴なる神の花嫁として人々の目に灼きつけられました。黒く素直な髪はいっかな沈もうとしない初夏の夕陽をあびてあくまで闇を秘め、冥界の王へのこの上ない貢ぎものとなるのでした。
 このままエトキルの街を縦走する大路を抜け、輿は街の西端の祭壇へと向かいます。エリヤはそこで祭の間を過ごすのです。
 街路はひとめ神の花嫁を見ようとする人の群れであふれかえり、輿の後ろからつき従う人の列は尽きることがないかのようでした。
 街は西へ向かうほど高く傾斜しています。祭壇はその一番端、一際高く迫りあがり背後は切り立った崖となったところにありました。
 屋根の無い階段状のピラミッドの上に、細心の注意をはらって輿が降ろされました。とはいえ石段の正面は垂直に切りとられ、その高さは人々が見上げるに十分なものでした。その上におかれたつくりものの船は、たしかに空に浮んだようにみえるのでした。夕陽は今まさに沈もうとしていました。赤い火炎酒のような太陽の最後の光芒が乾燥した大気を薔薇色に染め、祭壇の上の木組みの船と少女を鮮やかに浮かび上がらせていました。
 日が完全に没しきったとき、教主の祈りの声が式典の真の開幕を告げます。西の祭壇に集まった数千数万の人々は今や遅しと固唾をのんで見守ります。
 太陽がその最後の光の一雫を投げかけ、世界が菫色の空気に支配されんとした一瞬、壇上の少女が立ち上がりました。式典の段取りにはなかったことでした。あたりに詰めかけた数万の人々が息をのみ、祭典の開催を宣言しようとしていた教主は訝しげに後ろをふりかえりました。
 少女はつくりものの船の舳先に立つと、ゆっくりと神へ祈りを捧げました。右手で左の肩に触れ、うつむいた額へと指先を移動させます。動作を途切れさせることなく、そのまま少女は右足を前に踏み出しました。
 数万の観衆が一言も発することができませんでした。 きれいな青い衣装に身を包んだ、小柄な少女の体は中に浮き、しかるのちに冷たい大地に叩きつけられるはずでした。
 目を覆うこともできず、悲鳴を発することもできず、ただ少女のからだのえがく軌跡を眺めつづけていた人々は……ついに最後まで少女の姿を追うことができませんでした。そう誰ひとりとして。
 地面に到達する前に、少女の姿は唐突に消え去りました。一呼吸おいて数万人の悲鳴とどよめきがわきおこりましたが、何が起こったのか理解しえた者はなかったのです。興奮した観衆が祭壇に詰めかけ、逃げ遅れた教主はなすすべもなく手酷い怪我を負ったといいます。
 混乱のうちにその年の祭は幕を閉じ、その後もスンカワカンの祭は続けられましたが、神へ花嫁が捧げられることはついぞなくなったといいます。
 その後スンカワカンの信仰はしだいに廃れ、その中心を山岳地方に移していきます。時を同じくしてサクソスの諸王はグメイサの「皇帝」に従属していくことになりますがこれはまた別のはなし……。




 最後の空間跳躍まであと二十分ほど。ラムシオ・ウィルキンスは本  国へ報告せねばならない文書を記録させると、個人用のコンソールを離れた。『アカデミー』所属の正式な調査船とはいえ、経済的な価値に乏しい研究に立派な備品がおりるわけもない。超々空間通信機があればすぐにでも報告を送ることができるのだが……。旧式の通信機を扱うたびに、ラムシオは思う。
「それで彼女をどうする気だ」
 モリスが大きな手で器用に編み棒を操りながら言った。狭いキャビンでは編み物をしてすごすのが、今回の唯一の相棒の日課だった。
「どうもしないさ。このまま中央世界まで連れ帰って……」
 ラムシオは語気強く言い放ち……モリスの窺うような表情にくだけた調子でとりつくろった。
「……委員会がなにも言ってこなけりゃ彼女の自由意思にまかせるよ」
「しかしあの星は星間跳躍用のジャンクションしか無いような辺鄙なところだ。今回のような介入が果たして正しいことだったのか……」
 モリスは再び編み棒に神経を集中させながら独り言のようにつぶやいた。もっとも、堂々とした体格のアイルランド系の大男が黙々とセーターを編むさまは、彼の思慮深げな物言いに苦笑をもよおさせるエッセンスを加えてはいた。
 ラムシオも答えず、「彼女」を寝かしつけてあるゲスト用の座席へと向かった。そう広くないブリッジの反対側に象牙色の石人形のような装置が床に半ば埋まっている。その膝に抱きかかえられるようにして、ゆるやかにウェーブした黒髪がつややかな輝きを見せていた。
 完璧な類人型だが、地球人より繊細な印象を与える骨格。褐色というよりは研きあげた真鍮のような赤銅色の肌。異星の少女は青い生なりの衣装に身を包み、静かな眠りについていた。あおむけに体をあずけ、あごをついと差し出している少女の首筋は、その若々しい輝きを余すところなく放っている。
 ラムシオは少女の側頭にあてがわれた平たいコインのような装置をのぞきこみ、センサーを確認した。オールグリーン。ほっとしてふと息を漏らす。自分の呼気が彼女の髪を揺らしたことに思いのほかどきりとする自分を感じて、ラムシオはあわてて顔を引き離した。
 未知の環境にさらされるストレスを避け、これからの生活へ適応するため、彼女は意識の一部を除いて完全に眠らされている。今ごろは物わかりがよくて、恐怖を与える要素を出来るかぎり取り除いた指導員が夢の中で彼女と面会しているはずだ。
 比較人類学者であるラムシオは、この装置をもちいてこれまで結構な成果をあげている。特に彼の専門とする専制君主システム下にある地球人型人類の調査に適合するよう調整されていた。
「これで目覚めた時に、彼女が自分のことをもっと話してくれればよいのだが……」
 ラムシオは呟くと、おさまりの悪い焦げ茶色の頭を掻きながら自分の座席へと向かった。『跳躍』までもう数分しかない。まずは編み物に熱中しているモリスを止めさせなければならなかった。

 

 エリヤはかえって晴れがましい気持ちでした。空の人のもとへ嫁いでいくことができるのですから。なんのはかもなく死んでいった花嫁たちのことを思うと自分は好運だとすら感じました。
 空中へと身をなげだし、どこまでも落下してゆく感覚を味わいながら、エリヤは運命というものにはじめてうちかった誇らしさとどうしようもない悲しみを感じていました。
 意識が遠のく寸前何かの声をきいたような気がしました。その意味を考える暇はエリヤにはもう残されていないのでした。