壬生邸の庭

本と物語が好きな転勤族

2021-11-01から1ヶ月間の記事一覧

ニワカドリ

『ニワカドリ』 薄い壁がどんと鳴った。手にしていたコップの中の水に波紋が立つ。窓から差し込む朝日を受け室内に埃が舞うのが見えた。 隣室の太田の野太い唸り声が聞こえる。またニワトリと格闘しているのだろう。僕は日課の長い歯磨きの手を休めることな…

わたしの妹

「わたしの妹になって」 校庭のすみ、ジャングルジムを背にしたぼくに彼女はそう切り出した。 ハヤシミドリはぼくよりも頭一つ背が高い。ぼくは小学四年生でミドリは六年だから当然のことだ。しかもミドリは同級生と並んでいても目立つ長身だったように思う…

紙の上にしか存在しない私は

『紙の上にしか存在しない私は』 「紙の上にしか存在しない私は」とタイプして手を止めた。 紙の上にしか存在しない私は、紙の上にしか存在しないキーボードの上にテキストをタイプする。紙の上にしか存在しない私が書いたものと、いまここでタイプしている…

月と二人とやさしい嘘

『月と二人とやさしい嘘』 一「おまえにピッタリの娘を紹介してやるよ」 唐突に西野は言った。 西野はカオルの右腕をつかむと、軽々と引き上げた。 金曜日の放課後。部室棟へ向かう渡り廊下。暦の上では春とはいえまだリノリウム敷きの床は冷たい。 不意にあ…

ヒトリトフタリ

『ヒトリトフタリ』 私がベランダから空を見上げると雹(ひょう)が降っていた。 アパートのトタン屋根にパララララという乾いた打撃音が響く。 私は以前友人宅で見せられたビデオの、ナチス党の宣伝映画を思い出した。 機関銃の音というのは意外と軽いもの…

卓上の物体について

『卓上の物体について』 半透明で艶やかで軽い。 それは一見何かを刺すスティックの様な形状をしていた。 片方の先端が滑らかなカーブを描き、錐の様にすぼまっている。その先には金属の針が取り付けられているようだ。 プラスチックとおぼしき本体は黄色く…

学園特急

『学園特急』 学園祭前夜 PM7:55 暴走電車『…エ……ンを……………のよ』 「? 雑音が、ひどい! もう一度!] 『エン………………………………!』 思わず怒鳴りつけた無線機の声はいきなりノイズが増した。槙広一郎はヘッドセットを右耳にあてがったまま、この五分間に…

繭の日々

今でも時に思うのだ。 あの娘のことを。 何時までも続く、あの夏の日のことを。 一 いま、わたしの手元には一枚の古びた写真がのこされている。大切に保管されていたらしいその白黒写真からは、少女が一人、はにかんだ様なそれでいて空に視線をなげかけてい…